プリズマジャーナルTOP神谷 勇樹×濱野幸介【wow!シリーズ】対談前編「年間1000食のうち1食だけなら、ちょっとしたきっかけで動く可能性はあります」
神谷 勇樹×濱野幸介【wow!シリーズ】対談前編「年間1000食のうち1食だけなら、ちょっとしたきっかけで動く可能性はあります」

神谷 勇樹×濱野幸介【wow!シリーズ】対談前編「年間1000食のうち1食だけなら、ちょっとしたきっかけで動く可能性はあります」

ブランドや商品の「ファンづくり」において先進的な取り組みをされてきたトップランナーをゲストにお迎えし、プリズマティクスCEO濱野がお話を伺う対談シリーズ「What is your “wow!” experiences? ~あなたの“ご贔屓”教えてください!」(wow!シリーズ)。今回はエンバーポイント株式会社CEOの神谷 勇樹氏をゲストにお迎えしました。

すかいらーくでビッグデータ分析チームの立ち上げやモバイルアプリ開発を牽引した、外食産業DXエキスパートである神谷氏。データ分析、IT、DXといったデジタルに強いバックグラウンドと外食産業とのマリアージュは、どのような経緯で実現したのでしょうか。前編となる本記事では、神谷さんと外食産業との深い関わりについて、じっくりお伺いしました。

(取材・構成・文=プリズマ編集部)

神谷 勇樹

東京大学工学部卒、東京大学大学院工学系研究科修了。ボストン・コンサルティング・グループ、グリー、すかいらーく、PKSHA Technologyを経てリノシスを起業。グリーではKPIモニタリングの仕組みの構築やビッグデータ分析チームの立上げなどにより業績拡大に貢献。すかいらーくではデータ分析チームを立上げ、マーケティングのROI改善や事業機会の特定/強化を中心に担当。モバイルアプリの責任者としてオンラインマーケティング領域強化も推進。2020年11月、「顧客接点のラストワンマイルにおける総合的な支援」を掲げるエンバーポイント株式会社CEOに就任。

 

濱野 幸介

アクセンチュア株式会社(当時アンダーセン・コンサルティング)に8年間在籍後、株式会社リヴァンプにてCTOなどを経験。その後、株式会社良品計画ではアドバイザーとして「MUJI passport」を中心にマーケティング全般の企画・運営を技術面より支援。2016年にプリズマティクス株式会社を設立しCEOに就任。顧客と各企業・ブランドとの絆を深める良質な体験の場を「エンゲージメントコマース」と捉え、その構築に向けたプラットフォームとコンサルティングサービスを提供している。

1.表計算ソフトで会計していたらプログラミングするようになった神谷少年

濱野:今日は「外食のファン作り」を軸に、神谷さんにお話を伺っていくということではあるんですが……その前に、神谷さんのキャリアからお話しを伺った方が良いかなと思っていまして。「外食」というお仕事に関わり始めたきっかけから、お願いできますか。

神谷:はい、“初め”をいつと捉えるか、難しいんですが(笑)……濱野さんはよくご存知なんですが、私、実家が“外食”なんです。

──なんと! 外食業サラブレッドだったんですね!

神谷ケーキ屋、レストラン、惣菜屋、自社ブランド商品開発、いろいろ経営していました。ダメになったものもありますが……。それで、自分が15歳くらいの時、でしたかねぇ、唐突に親から「お前、BSって分かるか?」と聞かれまして……。

濱野:ものすごく、唐突ですね。

神谷:それで、貸方、借方とかの話をされて……それから、つまり、経理をやっていたわけです。当時ワープロが全盛の頃で、表計算ソフトで売掛、買掛管理とか出来るように、仕組みをつくってくれと。祖父が会計士で、父も会計については詳しかったので、伝票には連番つけておかなきゃダメだとか、そういうことはしっかり叩き込まれました。

その後、100人位の従業員のタイムカード集めてきてそれをひたすら手入力するということもやっていました。これは高2くらい。これがまた酷い経験で。ウチの給与は月末締の翌月10日払いだったんです。これは父の信念もあって、どの月でも必ず翌月10日で、年末年始だろうが関係なく支払うと決められていました。

僕は営業日関係なく働けばいいけど、でも、銀行は営業日あるじゃないですか。だからとにかく早く打ち込まなきゃいけないっていうんで、それでキーボード打つのが早くなってしまったんですよね。それに、交通費チョロまかすとか、タイムカード誤魔化しているのを確認する、というようなことも確認しなきゃいけなかったですし……で、まぁ、表計算ソフトとか使っていたら、プログラムを始めるじゃないですか?

濱野:えーと、何も繋がってないように思いますけども……(笑)。

神谷:いや、小学校の頃に近所のおじさんから管理工学研究所の「桐」ってソフトが便利だって説明をこんこんとされたりしていたから、それがきっかけだったのかもしれない……そういう意味では、環境が良かったんですね。

濱野:良かった、の?(笑)

神谷:大学での専攻は化学でしたが、実際はコンピュータシミュレーションをやっていた、という感じですね。当時から請負で、今でいうSFAみたいなものをつくったりしていて。お客さん先に行って要件聞いて、つくって、見せて、修正してという、アジャイル的な感じにつくって納品する、みたいな。これが2000年位のこと。

修士課程が終わる頃、「就職前に、一生ここでは働かないだろうという国で働いてみたい」と思い立って、ノルウェーに行って半年程働いたりもしました。ネットワーク企業でインターンをさせてもらってたり、派遣エンジニアとしてパケットキャプチャして障害検知するプログラムを書いたり。ちょうど、ギガビット・イーサネットが出てきたところだったんですよね。楽しかったなぁ。

濱野:エンジョイしてますねぇ。思ったよりも、ゴリゴリに書いていたんですね。僕もちょっと似ていて、大学卒業前にMicrosoftにインターンに行っていたし、シティバンクでプログラム書いたりしていました。ところで、実家を継げ、というような話は無かったんですか?

神谷:父は自分自身が家業を継ぎたく無かった人だったので、息子の私にも強要したくないというのがあるようで、そういう話は全く無いですね。むしろ「お前は外食産業には向いていない」と常々言われていたので、すかいらーくに転職する時には、そういう意味で心配されました(笑)。

2.ITとビジネスの橋渡し役として、課題をテクノロジーで解決する面白さ

濱野:修士課程を修了された後、コンサル企業に就職されていますよね。自分も似たような経歴なので、神谷さんがどうしてその道を選ばれたのか気になります。

神谷:学生時代からITの仕事をしてきたわけですが、ITとビジネスの橋渡しが出来る人間がなかなかいないな、と思っていて。それが出来るようになるには、ITの世界から一度出て、ビジネスの世界でバックグラウンドを付けないといけないなと思ったんです。本音の部分としては、エンジニアリングはその当時、それなりにやってきた自負があったので、他のいろいろなことに挑戦出来る環境が欲しいと思っていました。

コンサル企業では、仕事の仕方というような部分ではとても鍛えられましたね。何をやるにしても最短距離で突っ走る、というような……。

濱野:コンサル企業への就職から得たものの感想まで、鏡を見てるように、同じ気持ちです(笑)。コンサル会社では、体力的にも精神的にも非常に鍛えられました。僕は当時、業務でエンジニアリングも業務としてかなりやっていましたけど、神谷さんはそうじゃないですよね。

神谷:そこまでゴリゴリではないですが、でも、コードは書いていましたよ。仕事として色々な分析を求められるんですが……例えば、20年後の未来像からバックキャストして、今やるべき企業活動を描くプロジェクトの時には、該当分野の学会論文PDFをパースして、必要な情報を抽出するというようなことが自動で出来るようなプログラムをつくったり。

元々データとして無いものだから、結果が出てくるとすごく手触り感があるというか、刺さるんだなという体験になりましたね。こういうのは自分にしか出来ないことだなと思ったし、ビジネスでは役に立つんだなというのは思いましたね。ビジネス上の課題に対して、テクノロジーの力でどう解決するのかという応用をするというのは、面白いなと思いましたね。

3.スマホ普及によるマーケティング転換期、データ分析で「短期的に動かす」

──神谷さんと濱野さんとの出会いは、すかいらーく時代だそうですね。

神谷:横田さんと濱野さんに会ったのは、2014年でしたね。短期間でRedshiftを入れるというプロジェクトで、初めてご一緒しました。その後データ分析チームを立ち上げ、アプリをリリースしたりもしました。

濱野:Redshiftも出てき始めで、分析チームをつくるというのも当時は珍しかったですよね。どうして分析チームをつくろうと思ったんですか?

神谷:役に立つから、ですね。昔から自分が嬉しいのって「バリューが出せる」ということなんです。すかいらーくに行ったのも、これまでの経歴を考えると役に立てることが多いだろうと考えたから。あれだけお客さんがいて、店舗があって、データが大量にある。そのデータをちゃんと扱ったら、絶対に価値が出ると思ったんです。

実際、やればやった分、すぐに結果が返ってきて、それはもうめちゃくちゃ面白かったです。これは拡充したら絶対に会社のためになる、と思ったので、入社時は4人位の部署でしたけど社長にかけあって、半年くらいで20人くらいに人を増やしました。

濱野当時ちょうどスマホ普及が始まった時代で、マーケティングの転換点でもあったと思います。ご実家での経験もある中で、当時、「これを狙っていこう」というのは明確にあったんですか?

神谷:外食において「客数を増やす」ということには、まず本筋の、商品、サービスの価値を高めて土台を育てるということがありますよね。これはメニューもお店も絡む本丸ともいえることですので、なかなか、ポッと入社して、すぐにどうこうできるところでは無いと思っています。

神谷:そもそも、すかいらーくは粗利率の管理がスゴいんです。メニュー開発の人たちがものすごくロジカルで、彼らの作るエクセル表がめちゃくちゃ緻密なんですよ。「こういう商品をこういう価格帯で入れたら、注文数はこう動くから、こういうセットで入れておくと最終的な原価はこうで粗利がこうなる」というのを、相当正確な精度でやっているんです。これには本当に驚きました。

濱野:それは凄い。「メニュー開発」という名の数値計画ですね。

神谷:となると、自分が役に立てるのは「短期的に動かす」というところ。今もっているブランド価値を高めるとか、今強みがあるところをより強化するとか、そういう方が良いだろうと思ったんです。

4.それぞれの好みに合わせた決め手とシズル感で「あと1回」の背中を押す

神谷:外食って、来店頻度のピラミッドで考えると、売上の半分はヘビーユーザーの利用によるものです。年1〜2回しか来ない人というのが半分以上なわけですが、この人たちが「年間、あと1回」来てくれたら、かなりのインパクトがあります。これを実現するのはかなり大変ですが、人間って、365日×3食、年間にするとほぼ1000食も食べているわけです。この1000食のうちの1食だけであれば、ちょっとしたきっかけで動く可能性はあります。

食事というのは、みんな困ってるんです。何を食べるか決めるのも面倒だし、お店選ぶのも面倒。だからいろいろガイドを見たり、クーポン使ったりする。行くきっかけが欲しい、決め手があると動きやすい、というものなんですよね。でも行きたい気持ちになるための「シズル感」て、人それぞれですから、それに合わせてあげる必要がある。

濱野:シズル感と決め手で、背中を押してあげるということですね。「客単価よりも、プラス1回」というのは、僕が関わったプロジェクトでもテーマにしているところはあります。実際、働きかけると、確かに動くんですよね。

神谷:CRMの話って、「いかに常連化させるか」「いかに囲い込むか」という話が多いです。確かに常連化は大事ですが、それってマーケティング・コミュニケーションでどうこう出来ることではなくて、サービス、商品、接客といった“本筋”が育って行った結果だと思うんですね。だからすぐに動かすことが難しいんです。

濱野:全くその通りだと思います。もちろん商品開発もマーケティングのうち、ではあるんですが……それはもう経営が絡みますから、そんなに簡単に動かせるものではないですよね。

神谷デジタルが得意なのは「マーケティング・コミュニケーション」の分野だと思いますが、これを「マーケティング」と混同して話している人は、結構多いように思いますね。

(後編に続きます)

(取材・構成・文=プリズマ編集部)

神谷 勇樹

【プロフィール】
神谷 勇樹
プリズマティクス Adviser(アドバイザー)

東京大学工学部卒、東京大学大学院工学系研究科修了。
ボストン・コンサルティング・グループ、グリー、すかいらーく、PKSHA Technologyを経てリノシスを起業。グリーではKPIモニタリングの仕組みの構築やビッグデータ分析チームの立上げなどにより業績拡大に貢献。
すかいらーくではデータ分析チームを立上げ、マーケティングのROI改善や事業機会の特定/強化を中心に担当。モバイルアプリの責任者としてオンラインマーケティング領域強化も推進。
2020年11月、「顧客接点のラストワンマイルにおける総合的な支援」を掲げるエンバーポイント株式会社のCEOに就任。

濱野 幸介

【プロフィール】
濱野 幸介
CEO(チーフ・エグゼクティブ・オフィサー)

アクセンチュア株式会社、株式会社リヴァンプ、株式会社良品計画を経て、現職。
クラスメソッド株式会社 マーケティング・テクノロジー担当を兼務。
良品計画では、アドバイザーとして「MUJI passport」の立ち上げなどマーケティング活動全般を技術面より支援。

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